■ホーム■ 私は、耳なし芳一。

私は、耳なし芳一。


 私は、今『耳なし芳一』と呼ばれている。琵琶楽器による平家物語の弾き語りを生業としている。そして、私はどうも盲人という人種らしい。

 私にまだ『耳がある』頃。
 ある客人がやって来て、高貴なお方の屋敷で演奏するよう請われた。それが私の生業である、喜んで快諾した。その夜に私は、多くの貴人が集まっているという屋敷に案内された。大きな古い門の触感。せせらぎの音色の池。風にざわめく葉音の広い庭園。整理された小さな玉砂利の感触。頬に感じる明々した暖かさ。鼻孔をくすぐる香の煙り。確かに、高貴なお方のお屋敷であるようだ。
 私は、真新しい香りのする畳を踏みつつ、かなり広く感じる座敷奥のどうやら中央に座らされた。周りには、随分と多くのお客人達がいる、初めてである。五十から六十人であろうか、間間に、長い高さの蝋燭立てが置かれている。その熱の揺らめきと、ざわつきで感じるのである。
 これほどの貴族の方々が、こんなに近くにいらしたのであろうか……? これまで聞いたことが無かった。私が琵琶を膝に立ると、辺りのざわめきが一瞬にして、静寂に変わる。私に注視していることがわかる。演奏を開始した……。
 演奏が進むと、皆熱心に聞き入ってくれる。私の演奏芸の巧みさを褒めそやす。そして、私の語りが、壇ノ浦の戦いになると皆声を上げて泣き、感涙の渦となった。彼らは、心の底から感動し楽しんでくれた。琵琶奏者の冥利に尽きるというものだ。

 それから七日七晩の演奏を頼まれ、そして夜ごとにお屋敷に行くようになった。結局のところ、一度も報酬を頂ける事はなかったが、毎夜毎夜に嵐のような感動をされては、行かぬわけにはいかぬ。というものだろう。
 ある夜、寺を出た私は、寺男に呼び止められた。息が荒い、随分と動揺している。私は、寺へと連れ戻され、和尚の前に座らされた。和尚は、心配の念を発しながら私に言う。
「芳一よ。そなたは、毎晩、毎晩どこへ行っておるのじゃ? 分かっておるのか?」
 私の身を案じている言いぶりに、疑問を感じたが、和尚に答えた。
「私は、ある高貴な方々に琵琶を頼まれ、お屋敷に行っております。私は、多くの御仁の前ですばらしい演奏をいたしました」
 なぜか和尚は、ため息をついて、落胆している。和尚は、高くなった声で言った。
「なんということじゃ。お主は、毎夜毎夜に墓場に出向いているのじゃよ。それも平家一門の墓地のある場所じゃ。なんと……なんと……」
 後をつけた寺男の話では、私は、平家ゆかりの安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて、琵琶を弾き語っていたらしい。それで、今宵も行こうとする私を慌てて引き戻したのだった。

「このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまう……」
 和尚は、断れない法事があるため、私のそばについていることが出来ないと、一計を案じた。和尚と寺の小僧の数人がかりで、私の全身に般若心境を書き綴った。平家武士の怨霊が迎えに来ても私の姿を見られないようにする為である。そして、和尚は、強い口調で言った。
「絶対に、返事をしてはならぬ」

 私は、気付いていた。目が見えない私にとって、目が見えるという他の人たちよりも、空間の認識には優れている。私の全身に書かれた般若心境は、『私の耳』には書かれていないことを……。だがそれでも良いのだ、私の耳に書いてくれ。と言うだろうか? 否、私を案じてくれる和尚や小僧たちの気持ちに失礼だ。私は、そう思う。そして、何を失うことがあるのだろうか……。

 その夜、私は、広い講堂の中央で阿弥陀像に正面を向いて座っていた。蝋燭の炎が、意図的に揺らいだ。武士の姿になっているという平家の怨霊が、私を迎えに来た。私が呼ばれても、返事をしないでいると……。その武士は、落胆した様子で言った。
「声も聞こえない、姿も見えない。芳一はどこへ行ったのであろうか……」
 武士の意識が、私の耳に注視しているのを感じた。その武士の怨霊は、ひと際大きな声で言う。
「芳一が居ないのならば仕方がないな! 証拠に耳だけでも持って帰ろうか!」
「うぐぎゃあ〜」
 私の両耳に、激しい熱が走る。ドクドクした耳を両手で押さえると、指の隙間から血がボタボタと流れた。
 大声を聞いた、奥に控えていた小僧と寺男が、急ぎ駆けつけて私を助けて治療してくれた。
 私の耳は、無かった。

 朝になって帰宅した和尚は、自らの不備を私に詫びた。悲嘆しているようだったが、私は誰も恨んではいない。和尚も小僧も寺男も……平家の怨霊も……。ありがたい、ありがたい。私は、両手を合わせた。

 世とは、いかなる不思議なもので。私の奇異な逸話と私の風体は、その後に評判となって。寺から寺へ。村から町へ。町から雅な京へと、私の風聞は運ばれた。私は、時の天子様に呼ばれ、御前にて琵琶の演奏をした。喜ばれた天子様は、私に『地位と名誉と、そしてお金』をふんだんに与えてくれた。

 私は、急に思い出した。あの時に、武士の怨霊が私の耳を、引きちぎる直前に言った言葉。
 怨霊は、私の耳元で囁いたのだった。

「すばらしい演奏と語りをありがとう。我々にできることはこれだけです」

 私は、今『耳なし芳一』と呼ばれている。琵琶楽器による平家物語の弾き語りを生業としている。私自身は、何ら変わりはない。


   おわり

ひろ
2007年 公開
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