動かない犬を見たのは初めてのこと−。
一.ゴンロウって犬
わたしの頭にポトンッと、どんぐりの実が落ちた。 帽子の上を触ってもどんぐりは無くって、真上を向いてもただ風で木の葉っぱが揺れているだけ。 友達の子が地面に落ちたどんぐりを拾ってわたしにくれた。
陽光の日差しは弱く暖かい橙色に染まって、横から地面を照らす。もう落ち葉がはらはらと舞初めた。秋の音の彩りを添えるジョウビタキという小鳥の歌が、ピッピッピッと市街地の林道の小道にこだまする。
「美里ちゃん。今日もあっちから帰るの?」 どんぐりを拾ってくれた友達の沙世ちゃんがわたしに言った。わたしは、また緑色で帽子を被ったどんぐりを見つけて、それを拾いながら言う。 「うん。だってさ、こっちの方が近いもの。それに……。ね、これあげるよ」 わたしは沙世ちゃんに拾った、今は珍しい色のどんぐりをあげる。沙世ちゃんは、ありがとうってニッコリ微笑んで自分のスカートのポケットにしまい込んだ。 沙世ちゃんとは小学校に入学してから三年間ずっと一緒のクラス。朝の集団登校でも下校で帰る時もいつも一緒で、一番の仲良し。 「じゃあね。美里ちゃん。気を付けてね。また明日ね〜」 そう言ってから沙世ちゃんは、すこし大きめの真っ赤なランドセルを、脇のベルトを両手で抑えながら走り出した。後ろ向きに、沙世ちゃんの赤いリボンの付いた両側の髪のおさげが、小さな蝶のようにはためく。ランドセルの中身の音がカタカタと鳴る。 沙世ちゃんは、いっつも”気を付けてね”というの。それから小走りで走り去る。
友達とお別れする二又の道。通学路では無い、帰りに通ってはいけないよって言われている道。両側の深い杉の木と、背がとっても高い竹の葉がせりだして、少し暗い道。 だってこっちはもの凄く近道なのだもの。家は、もう直ぐそこ。ぐううんと回り道すれば、もう少し沙世ちゃんとお話できるけど……すぐ近くに沙世ちゅん家があるからすぐにお別れ。それから大通りの広い道じゃあね……。 だから近道のこっちから帰るのだし、だって犬のゴンロウに今日も会っとかなくっちゃね。
昨日と同じで、今日も真っ暗な道にもうなった。横道にそれると直ぐに木と竹が密集して明かりが届かない。背の高い竹林のトンネルが先まで続く。なんでかここだけ少し早く道の電灯が灯る。 やっぱりいつ来てもちょっと恐い。電灯が点いている向こう側じゃあ無い反対側のあぜ道を進む。砂利道がえぐれて窪んだところ。 わたしはいつもここで止まって。電灯が照らす先に向かって、少し小声で言ってみる。 「……ゴンロウいるの〜?……」 返事が無いので、少し先に歩く。いつものように念のため、左の肩で左の耳穴をなるたけ塞いで。それで左手の人指し指で右の耳穴を塞ぐ。それから右のスカートのポケットから『ライ』と名づけたライオンの小さな人形を取り出して、前に突き出す。ライオンの方が強いでしょ。もう少し進んでみる……。なんだろう? もうこの辺りで、『うう〜』とか『ぐうう〜』とか何時もなら威嚇っていうのが始まるはずなのに。 道の反対側で、一番近くなる距離まで近づいたときなんかは、、凄い剣幕で吠えられて、涎を垂らしながら、咬み付きそうな勢いで首輪につながるチェーンを何度も引っ張る。わたしはいつものチーンチーンというゴンロウがわたしに襲い掛かろうとする、チェーンの音を思い出していた。 近づくだけで、凶暴に吠え出す犬を好きな子なんていない。沙世ちゃんもこの子は大嫌い。悪戯好きの男の子だってもう近づかないくらい。わたしも大嫌いだけど、でもわたしは何だか、凄く怖いのに少しだけ気になってる。触ったことも無いし、勿論頭を撫でたことだって一度もないけど。わたしに襲い掛かる時の、あのひん剥いた目の奥がとても気になって忘れられない。でも、あの涎まみれの牙で噛まれたら、どうなるだろう……。 でも? 今日はまったくの静かで、全くに反応がないのはなんでだろ? こんなのは初めて。これ以上は近づけない。目を凝らして、よく見る。
犬のゴンロウは、電灯のスポットライトの下で死んでいた。
わたしは何で直ぐに直感したんだろう? 『死んでいた』だなんて。わたしの頭に浮かぶ。ずっと前に死んだわたしの金魚。ママが、ぐったりして浮かぶ金魚鉢の金魚を取り出して、机の上に敷いた白いタオルの上に置いた後に、『金魚は死んだ』と宣告された。目の前の金魚の姿を想い出したのだったから。似てる。 それに、ゴンロウの寝ている姿なんて見たことないけど。寝ている時は多分、あの屋根に大きな穴の開いたオンボロ犬小屋に入っているから。ペットショップで寝ている可愛い子犬を撫でたことがあるから。お腹が違う。 こんなにゴンロウに近づいたのは初めてだ。急にゴンロウが起き上がってわたしに噛み付こうとしても多分大丈夫な距離まで、そおっと近づく。 ゴンロウは、わたしに背を向けて砂利の地面に、横たわっていた。顔は向こう側で、表情はわからない。 わたしは、ゴンロウから目を離さずにしゃがんで、じゃり道の小石を一つ掴んだ。それをそおっと、ゴンロウの背中の上のあたりに投げてみた。小石は、真っ黒な背中のゴワゴワしてそうな毛を少し動かしたけど、何にも変わらない。わたしは、スカートのポケットからドングリを3,4個取り出して、ポイッと放り投げた。ドングリは、ゴンロウの肩と頭に当たったけど、何も起こらなかった。
わたしは目を離さないで、後ずさりした。電灯の明かりが照らす道の反対側まで。 わたしは立ち止まって、犬小屋のお隣にある家を見た。ゴンロウの犬小屋に似た古い家でいたるところがオンボロのお家。この道の通りには、家はこの一軒しかないから、この家の人が飼い主のはずだけど。わたしは一度も飼い主の人を見たことが無かった。ご近所付き合いは無いからって、ばあば(祖母)が言ってた。あそこの人は変わり者だから近づかないようにってとも言ってた。 エサ入れの缶のお皿は、ひっくり返っていて中に何が入っているのか判らない。 わたしは、『ライ』人形をポケットにしまう。両手を開いて見たら、薄明かりでもぐっちょりと濡れているのが分かったので、スカートで汗を拭いた。 急に背筋にブルッと来た。ランドセルの両脇の肩から伸びるベルトを両手でしっかり握って、そこから少し小走りで去る。もう少しでわたしのお家。 向こうの先には、竹林のトンネルの出口があって、明るくて濃い橙色の光が道の出口を照らしている。まだ夕方だったんだってその時に、気がついた。 出口を左に折れれば、そこがわたしの家なんだ。 ぼおっとしてて、わたしは、石に躓いて転んだ。痛いっ! 薄明かりの中で痛い膝を見るとジワッと赤い血が出ているみたい。拭くものは、何もない。立ち上がると、風が強く吹いてスカートの裾が舞う。
秋の気配は深くなりつつあるのに竹林の葉は、青々と新緑に茂る。竹の葉が強い風にゆれてザザザーと鳴る。
わたしは、砂利道を強く踏みしめて帰った。
二.ママってばさっ
わたしは家の戸口の前に立って、聞き耳を立てた。今日は水曜日だから……。何も聞こえない。 スカートのポケットから家の鍵を取り出す。鍵をドアノブの穴に差し込んで回す。鍵は、わたしの腰のベルトを通す輪っかに、伸びるゴムでくっ付いていて、びよ〜んって伸びる。ばあばが付けてくれた。わたしは、慎重に静かにドアを開く。直ぐに玄関の靴置き場を見て、ママとわたしの靴しかないことを確認した。ホッとしてドアをバタンと閉める。 「……ただいまあ〜。……」 今日は少し、明るめの声で言ってみる。短い廊下の奥の台所の方から、ヒョコッとママが顔を出して言う。 「ん。おかえり」 今日はママの機嫌がいい日だ。元気に返事をする。 「だたいまっ」 急げっ! わたしは玄関で靴を急いで脱いで駆け上がり、急いで自分の部屋に走った。背中のランドセルを素早く下ろして、自分の勉強机にドカンと載せ上げる。ランドセルの底の開け口を開こうとして焦って、親指の肉を少し挟んだ。 「痛いっ」 そんなことより急がないと。今日の作戦はどうだろう? 前の作戦は失敗した。前は算数のテストを頑張って、百点取ってママに見せた。けど、ママの反応は何も無かった。今回の算数のテストは、ゼロ点を取ってみたんだ。どうだろう? 怒られるかもしれない、ママに。 わたしは、急いででも千切れないようにランドセルから、ゼロ点のテスト用紙を取り出す。これを持って、ママの所に急ぐ。 ママは、居間で座布団に座って、頬杖をついてテーブルの雑誌を眺めていた。わたしは、ママの傍まで滑り込む。擦りむけた赤い傷が、膝っ小僧から見えたので、スカートの裾を伸ばす。 「ほらっ、ママ。え〜と……。テストでこんな点数取っちゃった……ごめんね」 ママのすらりとした長い指が、テーブルの上の綺麗な装飾の携帯を触る。わたしは、携帯が嫌い。ママの指が携帯を少し持ち上げる。ママの視線は、きっと携帯の画面だ。 「ねえっ、ママ。今日さあ、美里の頭の上に、どんぐりが落っこちて来たんだよ。ヒュ〜、コンッって。痛かった〜」 間を空けずに、喋ってみる。わたしは、自分のポケットから、どんぐりを一個取り出して、コトンッとテーブルに置いた。 「ほらね。どれだったけなあ、美里の頭に落っこちて来たやつって、え〜とね……」 わたしが、自分のポケットに手をもう一度突っ込むと、不意にママが言う。 「ん。テスト?……まあ、私の子だから。しょうがないか。父親の方に似ても、まあ同じか……」
♪ピ〜ピーラ〜。
わたしは、携帯の音が嫌い。そして、大嫌いな着信音が鳴った。ママの口元が緩む。手に持ったわたしのテスト用紙をテーブルに落として、携帯を取り上げた。ママは、高くなった声で相手の人と話す。楽しそうだ、笑みがこぼれた。わたしには見せない顔だ。ママは話しながら、わたしのテスト用紙を空いている手で取り上げて、立ち上がった。軽快な会話は続く。ママは本棚の空いている隙間に、わたしのテスト用紙を滑り入れた。わたしは、自分のポケットからライオンの人形『ライ』を取り出して、両手で持ってから、『ライ』の目と見つめ合った。わたしの手の大きさ位のぬいぐるみ人形。わたしは、両手で『ライ』の両腕の部分を、両手で強く握り上げて、やわらかい頭を押しつぶして、グリグリに回してねじる。顔がおかしく歪む。 ママが、わたしの近くのテーブルの上に、ポンと千円札を置いた。携帯に手を当ててママが少し小声で言う。 「美里。いつものように、近隣スーパーで弁当買って。ばあばの所に行きなさいね」 ママの唇が赤い。それで、置いた一個のドングリをママは手にとって、ゴミ箱に捨てた。わたしは、真っ赤な口紅が大嫌い。 わたしは、カレンダーを見る。やっぱり今日は水曜日。カレンダーの今日の日付の部分には、小さな赤い丸の印が付いている。わたしの作戦は、大失敗だった。でも、もういいや。
わたしのパパとママは、一年前に離婚した。記憶があるずっと前には、とっても仲良しな二人だったけど。離婚する前からは、随分と仲が悪かった。わたしが悪いのかも、と思うこともあるけど何かは判らない。ママのほっぺが大きく腫れたり、目の横が黒くなったこともあった。でも多分、ママはパパのことが、今でも好きだと思う。何故かそう思う。ご飯を食べている時に、ふっとため息をつく時のママの寂しそうな目とか、テレビを見てもいっこうに笑わないでいる時とか、きっとパパのことを思いだしているのだと思う。 ママは、最近わたしが知らない男の人と多分付き合ってる。 前にすれ違ったママより若い男の人。この前はその男の人とも違う人が、わたしの家に入っていくのを見た。
わたしは、テーブルに置かれた目の前の千円札をパッと取って立ち上がる。千円札をポケットにネジって入れた。まだ携帯で話すママの姿を横目に入れて、早足で部屋を出る。パッタンと居間の扉を閉じた。 わたしは、お弁当を買ってから、ばあばの家に行かなければならないのだっ。 玄関で自分の靴を見る。『ライ』人形の顔を見る。ママもきっと寂しいのだけど……。目が濡れて『ライ』の顔が歪んで見えなくなった。わたしは、泣いてはいない。
ふいに、わたしは真っ黒な犬のゴンロウの姿が頭に浮かんだ。わたしを食べようとするあの憎たらしいゴンロウだった。 ゴンロウは、いっつもいっつも。あそこを通る度に、わたしを吠えて。吠えて。食べようと、わたしに噛り付こうとするんだ。汚い涎を垂らして。汚い……。だから死ぬのは当たり前だ。あんな犬が、死ぬのは当たり前なんだ。バチが当たったんだよ。わたしは、急にゴンロウが憎くて、憎くて堪らなくなった。あの動かなくなったお腹を、力いっぱいに蹴っ飛ばしてくればよかったのに。 わたしは、『ライ』の頭と胴体を両手で持って、歯を食いしばって引き千切った。振り返って、廊下の先の居間に向けて、ぶん投げる。玄関で自分の靴を履いて。ママの真っ赤なハイヒールを見る。こみ上げて、スカートの両方のポケットに沢山いれたドングリを全部だして、玄関に叩き付けてばら撒いた。
バチバチバチ。バチバチバチ。
ドングリが玄関に当たる音。一個が、ママのハイヒールの中に入ったのを偶然に見た。わたしは、ハイヒールに入った、どんぐりの一個を取り出して自分のポケットに入れる。
玄関のドアを、バタンッと閉めた。外は、もう真っ暗。
三.ママと学校に
「ライの中身って……。こんなになってたんだ……」 わたしは、頭と胴体が千切れたライオンの人形『ライ』を持って、胴体の方の首が切れた部分を覗く。持った右手をふにふにと握ると、胴体の中身の白い綿がスポンジみたいに縮んで膨らむ。胴の中心の綿は、真っ白だけど。体の皮の布に近いほど、茶色く色が変わっている。汚れみたい。 「洗濯したほうがいいのかな……」
ガチャチャッツ、カッ。
突然の急な乾いた鉄の音。わたしは、ビクッとなる。窓の左側に振り向いた。 カラスが居る! わたしの勉強机の左側は直ぐに窓があって、外のベランダの鉄の手すりの上に大きなカラスが一羽止まっている。 びっくりする程の大きなカラス。 わたしは、ビクッとなったままで肩と背中が固まって。そのままで薄い方のカーテン越しに見えるカラスと対面する。カラスの方は、全くわたしに気づかないままでキョロキョロしている。 ママに内緒で、残ったパンを粉々にしてベランダにばら撒く。朝になるとたま〜に食べにやって来る、小さな可愛い小鳥を楽しみにしている。でも、カラスは初めてだ。 真っ黒で大きなカラスは、何も見つけられなかったのか、『ガチャッ』という飛び立つ音だけ残して飛んでった。 わたしは、ほっとして全身の力が抜ける。良かった。
秋の朝陽の光が、低く部屋に注ぎ込み、部屋を心地良く暖める。日陰との境の線がくっきりと浮かぶ。
わたしは、顔の左の頬っぺたに当たる、温かさを楽しんでいる。とっても暖かくて気持ちいい。 部屋の開いているドアの方から、突然に背後から声が掛かった。 「もう、なによ! 準備できたの? 美里! 出来たのなら早く来なさいよ!」 今日は、不機嫌な日だ。ママは、少し怒って高くなった声でわたしに言った。わたしは、大きく元気にして答える。 「もう準備できたよっ。すぐ行く!」 玄関でヒールの低い靴を履くママは、今日は地味なスーツを着る。 「ねえ、ママ。ほら、ライが……」 ママは、ちらっと見て靴べらを使いながら言う。 「そんな汚い人形。捨てなさいよ。自分でやったのでしょ! 私は知らないわよ! ……早く行くわよっ」
学校の先生から何度か手紙を預かって、ママに見せていた。わたしは、よくは判らないけど先生からママは呼び出されているみたいだった。相談があるらしい。今日は日曜日だけど、朝から学校に行く。ママは、約束の時刻に遅れているみたいで、イライラしていた。 人形の『ライ』をわたしは、探していて。ゴミ箱の中にあった。わたしは、『ライ』をゴミ箱から助け出したんだ。 わたしが玄関にあるお気にの靴を履こうとすると、ふっと突然に音楽が鳴った。大好きな着信音だ。
♪ル〜ル〜ラリラ〜。
パパだ! 聞きなれた着信音。ママは、素早く携帯を取り出して、チャッと携帯画面を開く。着信音楽は鳴り続ける。ママは、なかなか通話しない。わたしは、玄関に座りながら靴の紐を結び直す。ママの細くてきれいな指先に薄く光るラメの付け爪。その指達が、ママのスカートをハタハタと小刻みに叩く。イライラしながら考え事のサイン。着信の音がまだ続く。ピッと、ママが通話ボタンを押した。 「何? 今、急いでいるのだけど……」 ママの声は、少し低く押さえつけるように落ち着いている。ママは、素早くせっかく履いた靴を脱ぐと、玄関を駆け上がってドタドタと居間の方へと行ってしまった。しかも、何かぶつぶつ言いながら。 わたしは、玄関で立ち上がってママの方を見た。バタンッと居間の扉を閉める。わたしは、靴を履いたままで玄関の段差に座り、端の壁に寄りかかった。 『頭ライ』と『胴ライ』を試しにグリッて合わせてみる。やっぱりくっ付く訳は無い。強く握ったせいで変形した『頭ライ』の顔の表情が悲しく見える。 「どうしようかなあ……」 小学校のお裁縫の授業で、針と糸で縫い方を習ったけど。こんな難しいのは出来ないよ、多分わたしじゃあね。布もなんかちょっと厚手だし。 「家庭科の先生にお願いしてみようかなあ」 わたしは、目を瞑って自分の頭を壁にもたれて、上下に少しだけグリグリした。髪の毛が擦れて、ジリッジリッって音がする。居間の奥からは、まだママの声がする。何を言っているかは判らないけど。 目をうっすら開けて、向こう側の下駄箱の下の隙間を見た。どんぐりが一個転がっている。 ガチャッと音がして、ママが出てきた。 「ほらっ、早く行くわよっ!」 ママは、時計を見ながら靴を履いて、財布から鍵を取り出し。わたしの背中を押して、家の外に押し出した。
今日は、天気だなあ。陽の光は暖かいけど、風はちょっぴりひんやりして、わたしの頬を通り過ぎていく。 ママが、わたしの手を引っぱる。わたしの首が、カクンとなった。 学校へと行く近道……。 「……ちょっと! ママ! こっちから行きたくないのっ! こっちは嫌なの!」 何日か前に、学校の帰りに近道を通った時も。ゴンロウの死体は、その場所にそのままあった。 絶対に見ないように通っていたけど、凄く臭くてとっても嫌な臭いがしたので、今は朝も帰りも遠回りの道を選んでいた。 「何言ってるのっ、美里! 時間無いのに。こっちの方が近いでしょ!」 わたしは、足を踏ん張ったけど、ママはわたしの腕が抜けるほどに引っ張って、腰から引かれる。
「ああ。あのことね。あんたは、こっちに付いてなさいよ」 ママが冷静に言う。わたしは、ママのスカートの布を握って、ママのお尻に隠れて歩く。ママの腰からちょっと覗くと……。
カーカー。ギャーギャ〜。バサバサ。
真っ黒なゴンロウの死体の上に、黒く光るカラスが数羽乗っかって、ケンカしている。わたしたち二人が近づくと、バッサバッサと大きな翼を広げて、大きなカラス達は飛び去った。真上の家の屋根に移ったみたい。 ママが鼻を摘んで、低く大きな声で言う。 「臭いっ! 何よこれ酷いわね! もう、最悪! どうなんてんのよっ、この家は!」 わたしたちは、臭いゴンロウの死体から一番遠い道の端を歩く。一番近づいた時、わたしはママのお尻から、鼻を摘んだままでゴンロウを覗き見た。 なんだか久しぶりに見た気がする。ゴンロウは、最初に見た時と同じ形で、地面に横たわる。やっぱり顔は向こう側で、表情は見えない。 でも、ゴンロウのお腹の皮がめくれているみたいだ。黒い毛と皮が、切れ切れに逆立って変に捲れてる。その中に赤いものや、小さな白いものが見えた。上を見上げて、家の屋根を見るとカラス達が、わたしを見ている。わたしは、ゾッとなってママのスカートの布を両手で握る。 「ほらあっ。もう、いいでしょっ!」 ママが言って、わたしの手を掴んで引っ張って、早足になった。腕が抜けるほど引っ張られながら、わたしは首をよじって、背中の方に顔を振り向ける。ゴンロウを見た。 屋根から、一羽、また一羽と、ゴンロウに向かってカラスが飛び降りた。
「ママ、ゴンロウってお墓に入らないの?」 「ゴンロウって何よ?」 ママが早足のままで前を向いたまま、答える。わたしは、ずっとふらふらしながらママに引っ張られる。 「あっ。違った……。さっきの黒い犬のことだけど」 あの黒い凶暴な犬の名前は、誰も知らない。汚いオンボロの犬小屋にも名前は書いて無い。『ゴンロウ』というのは、わたしが勝手に付けた名前で、この名前を知っているのは、友達の沙世ちゃんだけだった……。 「ああ。あの犬ね。きっと誰かが、保健所に連絡するでしょ。面倒だわ。家まで臭ってきたら別だけど……」
学校へと向かう通学路には、道路沿いに細い用水路がある。その用水路側には、小さな秋の花の小菊が、道沿いに咲き並ぶ。背の低い小菊は、薄紫色の細い花びらを幾重にも丸く束ねて、涼やかに揺れる。あまく薄い香りを風に乗せる。
わたしは、思い出したの。前に一人で歩いている時。ドブの穴から小さなネズミがチョロチョロっと飛び出して、わたしの目の前を横切った。すると、大きな黒い塊が空からやって来て、ネズミをくわえて飛び去った。バッサバッサと大きなカラス。
ゴンロウは、カラスに食べられるんだ。きっとそうだ。
四.パパと遊園地に
「美里は……。パパとママのどっちが好きだ?」 今日は一ヶ月に一度のパパとデートの日だ。 パパは、車内の音楽を消したと思ったら、わたしに尋ねる。 今日のパパの車は、いつもと違う。わたしは、前の車の方が好きだったのに。お尻の方から、ズンズンズンとエンジンって音が振動してきてたやつ。車に乗る段差が低くて、真っ黒で光る色。ドルン、グウオ〜ンって高速道路を飛ばすんだ。 「……わかんない。……」 パパの顔は見ないで、わたしは答えた。 今日の車は、乗る段差がやたらと高くって大変だった。初めて。今日は、遊園地に行くんだ。楽しみなの。 「美里は、パパの方の子になるか? なるかもしれない……一緒に住むかもしれないってことだけど」 デートの日のパパは、とっても優しい。 今日の新しい車のパパは、スピードをあまり出さない。車の中も静かだ。前の車なんて、とってもじゃないけどお話なんて出来なかった。 「ママじゃない人と……結婚するの?」 助手席側のドアの入れ物ポケットに、小さく光る赤いピアスがある。ママは、ピアスはしない。いつもイヤリングだ。それに赤い色のイヤリングは、持っていない。こういう所がパパは、雑なんだよね。 前にパパの家に泊った時にも、女の人が居るヒントが沢山あったんだ。 「ああ、うん。そうだな……結婚するかもしれないな」 パパは、赤の信号待ちでしんみり雰囲気で答えた。わたしは、素早く聞いてみる。 「その人は、パンダのような顔になってる?」 パパは、何のことか判らずに黙々として、閃いて答える。 「パンダ……。ああ。なってない、しない。もう……ならないよ」 この車は、ずいぶん高くて前のガラスも広くて、よく見える。遠くの向こうに、遊園地の城の塔が見えた。
わたしは、邪魔なシートベルトを押しのけて、ポケットから『ライ』人形を取り出した。『頭ライ』と『胴ライ』は合体しました。台所で瞬間接着剤を見つけたので。 わたしは、『ライ』の目を見る。
『ママは、まだパパのことが好きなんだよ。パパはどうなの?』ってわたしの心の中で言ってみる。
けど、言ってみると何だかもう、遅い気がする。とっても遅い気がする。もっと早く、もっと前に言うべきだったんだよ、きっと。 わたしは、何だか右手に持った『ライ』を強く握って、左右におもいっきり強く振った。 「あっ」 『頭ライ』がまた取れて、首の皮一枚繋がって、ぶらぶらしてる。がっくし。 パパは、運転しながらこっちをチラッと見て言う。 「美里。なんだ、その壊れた汚い人形は? 今日、また可愛い新しい人形を買ってやるよ」
今日は、天気が素晴らしい。パパとのデートに日は、いつも良い天気なんだ。嬉しいなあ、とっても。 たくさんの乗り物に乗って。遅いジェットコースターにも乗って。まわる馬車にも乗った。美味しい昼ごはんを食べて。午後にもアトラクションを巡る。みんな忘れて楽しんじゃう。 幸せな時間ってすぐに終わるものなんだ。わたしは、帰りの車の中で寝てしまった。疲れたよ。
「美里っ、美里っ」 パパの大きな手が、わたしを揺り起こす。もう、パパの家に着いたの? パパのベッド? わたしは、眠い目を擦り開ける。 わたしは、車の中に居た。真っ暗な外に、車内の電灯が明るい。車の前の二つの黄色い明かりが点滅する。そうだ……今日は、パパの家にお泊りじゃなかったんだ。わたしは、重い体を起こした。 パパが少し心配した声で言う。 「ほら。美里の家の前まで着いたよ。パパはここまでだ。一人で行けるだろ? ママと一緒に夕飯だろ。まだ少し夕飯には早い。約束通りの時間に着いた……」 う〜ん。まだ眠い。パパにお土産のビニール袋を渡される。 「うん。ママが居ると……思う。ご飯も一緒に食べる……」 わたしは、重い車のドアを思いっきり、バタンと閉めた。わたしは、ふらふらと家に向かって歩き始める。少し歩く。後ろでパパが言う。 「ほら、しっかり歩け。……おやすみ。美里」 わたしは、目を擦りながら言った。 「おやすみ、パパ。じゃああねえ〜」 わたしは、酔っ払いのおじさんみたいに、ふらふら歩く。家に着いたら、ママに聞いてみるんだ。 『パパに、パパの子になれ。一緒に住め』って言われたって。聞いてみるんだ。ママは、わたしが大好きなはず。ママは、わたしをとっても好きなはずなんだ、だから。 『ママと一緒に住みなさい』って言うはずなんだよ。
玄関は目の前で。ここを入ると直線にいるパパから見えなくなる。もう一度パパを見ると、黄色い明かりが点滅する車のパパがまだ居た。多分、こっちを見ているのだろう。わたしは、もう一度車に向かって手を振ってから玄関に入る。 スカートのポケットから、伸びる鍵を取り出した。
真っ暗な部屋の電気を点けながら、居間へと向かう。家中の音が無くて、冷えている。廊下に板が軋む音。
『ママより、美里へ。 出掛けます。今日は戻るか判りません。戸締りして先に寝なさい』
ママは、居なかった。メモと一緒に、千円札がテーブルの上に置いてある。わたしは、手に取ってポケットに入れた。ポケットの中の指先に、『ライ』の感触。人形を取り出すと、胴体から頭が外れたままだ。皮一枚で、ぶらぶらしてる。わたしは、このゴミ人形の頭と胴体を千切って、メモ用紙も千切って、一緒にゴミ箱に捨てた。 何を食べよう? 真っ先に浮かんだのが何故か、通学路の途中にあるコンビニだった。なんでだろう? 真っ暗な道の方向なのに? 近隣スーパーや、ぼっか弁当屋さんなら明るい道なのに。なんだか今日は怖くない。いつもはとってもじゃないけと行けない暗い道なのにね。
ピンク色の薄いジャンパーを着て、出掛ける。胸に子豚のワッペンの付いた、好きなジャンパー。外は、とっても寒い。ぶるぶるっと凍える気がする。 通学路側の道路は、もう真っ暗暗い世界だ。点々と電灯が、その場所を照らしてる。なんだか今日は恐くない、全然ね。
ジャッジャッジャッジャッ。
砂利道の砂利とわたしの靴が、ぶつかる音だけが聞こえる。先を見ると、電灯の明かりがスポットライトに、真下を照らす場所に。ゴンロウの死体がまだ有った。わたしは、ゴンロウをじっとみる。かな? ぼんやり見る。かな? 気持ちに厚い壁が出来ていて、平気だった。近づく。
ゴックン。唾を飲み込む。ゴンロウの上には、カラスは居ない。今、ゴンロウが立ち上がって、わたしに襲って来たら、多分噛み付かれそうな距離に……。 「噛み付かれる……」 わたしの頭に映像が浮かぶ、現実じゃないけど。居るように思い出した。 ゴンロウは、凄い剣幕でわたしを吠える。涎をだらだらと垂らしながら。咬み付きそうな勢いで、首輪のチェーンを何度も引っ張る。その度に、チーンチーンという音が鳴る。 今。ゴンロウは、動かない。ピクリともね。 「ざまあみろだ……」 あんたが悪い子だから、そうなったんだよ。ザマアミロだ。当たり前なんだ、わたしを食べようとしたんだから。当然なんだよ。死んじゃうのは当たり前だ。このっ馬鹿犬め。お前のせいだ。ママが嫌いなのも、ママとパパがケンカするのも、ご飯を独りで食べるのも。ママがわたしの手をやさしく握らないのも、昔みたいにわたしの髪の毛をとかさないのも。ママがわたしを、ギュッと抱きしめないのも。 「み〜んな、お前のせいだ」 わたしの目玉は、ゆるゆるになって前が見にくくなった。わたしは、地面の石を拾う。下を向いたら、ポタポタって見えるようになった。右手に触れた石を取り上げて、ゴンロウに目がけて投げつける。 コンッカコンッ。 投げた石は、ゴンロウに当たらずに、直ぐ横の大きな石に当たって跳ね返った。ムカッと来て、近くにあって片手で持てる、一番大きい石を拾って。ビュッと思いっきり投げつけた。
ぐっにゅうう……。
聞こえなかったかもしれない。でも、聞こえた気がした。わたしが投げた大きめの石は、ゴンロウの柔らかそうなお腹に当たって、『ぐにゅ』っと皮と肉がずれた。 はっ、となってビックリして、よく見る。よく見えてきた。細かいところまで、よく見える。 ゴンロウのお腹の皮と肉が、ずれると。その部分は、一面に白くなった。小さな虫(蛆)が居る。びっしりと。お茶碗のご飯みたいに、びっしりと。そして、モゾモゾと一面が一斉に小さく動く。 わたしは、ガクッとなってお尻を地面に打ち付けた。うっ、となる。鼻からもの凄く臭いにおいが、痛いように鼻の奥に入って来る。しかも、突然に。気が付かなかったの? わたしの震える足は、何とか立ち上がってその場から離れた。
秋の夜の冷たい風が、竹林の枝を揺らしてザワザワと葉を擦らせる。舞い風で、地面の落ち葉も舞いあがる。林の奥で、フクロウがホウーホウーと無く。小屋の壊れた電灯が、ぶらさがって風で揺れ、ギーギーの音。
「……恐い。……」 わたしの目と耳は、鮮明になって周りがよく見えた。震える足で、なんとか走った。家に急ぐ。
ママは、家には居なかった。わたしは、自分の部屋のベッドの中に走りこむ。ガタタッツガタタッツっと窓が風で揺れる音。布団を頭から被って、もぐり込む。震えながら丸まって、膝を抱いた。
五.わたしの人生で最高の夜
「何をして欲しい?」 ママがぶっきらぼうに聞くので。 「ママと一緒に寝たい」 わたしは、答えた。今日は、ダメと言わない。 わたしは、パパの家に引き取られることになった。離婚して二人で暮らすようになってから、ママは初めは仕事をしていたけど、直ぐに辞めてしまった。それからは、生活保護っていうので暮らしていたみたい。パパに『わたしは、ばあば(祖母)と暮らせないの?』と聞くと、ばあばも年金の独り暮らしで、わたしと一緒には住めないらしい。 今日が最後の夜。明日の朝には、パパが迎えに来る。
ママと寝るのは、何年ぶりだろう。ずいぶんと大昔のような気がする。わたしは、ママと一緒のお布団に入ると、中に潜り込む。ママのスマートな胴体に巻きついた。パジャマの気持ちいい肌触り。温かい。いい匂い。やわらかい。今日のママは、嫌がらない。やさしい日だ。ママは、わたしの方に向き直って、わたしの背中にやさしく手を回した気がした。
わたしは、夢を見た……。 あの夜、ゴミ箱から消えたライオンの人形の『ライ』が、真っ黒で巨大な犬になったゴンロウに、むしゃむしゃ食べられている。わたしは、ボ〜と見ているみたい。次に、ママが現れて巨大ゴンロウに、グチャグチャ食べられる。わたしは、ボ〜と見る。次には、ばあばとパパが食べられた。見てると。巨大ゴンロウの顔が、わたしの真上に近寄って。ボタボタと涎がわたしの頭から顔に、流れた。わたしが、上を見ると、巨大なゴンロウの口の中に、ガブッとわたしの頭から噛み付かれて……。 目が覚めた。
シンッと静まりかえる、ママの部屋。チックチックと時計の音。まだ、真夜中みたい。スースーというママの寝息。豆電灯のやわらかい光が、ママの顔を照らす。 ママの寝顔は、天使のようだ。わたしは、ママの頬っぺたにキスをした。
六.バイバイの朝
「美里は、わたしのことを裏切るのね?」 ママは、わたしの髪を梳かしながら、背中越しに言った。
朝の秋空は青く、高く澄み通る。ススキのような雲が流れる。やわらかく暖められた光が、窓のガラスを通過する。
わたしは、頬っぺたに当たる暖かさを楽しんでいた。 『裏切る』……? わたしには衝撃的過ぎたのか、わたしの理解と心に入らなかった。『裏切り者お〜』とか学校でも確かに、言葉を使うことはあったけど。ママの言葉が重かったのか、ピンとこなかった。 理解出来ずに、わたしは答える。 「また会えるし。いつでも会えるし。ママも大丈夫でしょ?」 ママは、わたしの髪の毛を頭の両側で束ねて。赤い髪留めの布輪ゴムで、結ぶ。ママは、わたしの両腕を軽く掴んで、わたしの体を回してママの顔と対面する。目の前のママの顔。ママの手が、わたしのお尻からスカートの下まで、ポンポンと軽く叩いた。視線は合わない。 ママの長いまつ毛が、ハタハタとはためく。ママは、自分の背中の後ろから、両手に二つ何かをわたしの前に差し出した。 一つは……。ライオンの人形『ライ』が生還しました〜。消えて無くなっていた『ライ』がわたしの手の中に帰ってきた。人形の首を見ると、きれいではないけど縫った痕がある。わたしがニッコリ笑うと。ママは、少しだけ笑った。もう一つは、新しい小さな可愛いハンカチ。折りたたんで、多分アイロンがしてあるみたい。ママは、そのハンカチをわたしに見せてから、わたしのスカートのポケットに入れた。
パパは、わたしの荷物を車に積み終わって。車に乗って待っている。ちょっと先に見える運転席のパパと目が遭った。車の排気ガスが、白くモワモワっと吹き出ている。 振り返って、ママを見ると、まだ玄関先の柵扉の前に立っている。わたしがママに手を振ると。ママは、手を振らなかった。車までの半分のところで、また振り返ってママを見る。ママは、もう居なかった。
車が走り出して直ぐに、パパが言った。 「まあ……。ママとは、いつでも。定期的に会えるよ……」 パパが続ける。 「ん? なんだ、美里。まだ、そんな汚い人形持っていたのか? この前、三つも買ってやったじゃないか?」 わたしは、人形の『ライ』の両脇をやさしく持って、左右にふらふらとゆっくり揺らす。パパに言った。 「うん。一個は、沙世ちゃんにあげて。一個は、お荷物に入れて。あと一個は……」 居間のソファーの横に置いておいた。 「あっ。ちょっと、パパ! そこを左に曲がって! お願い!」 「おい、なんだよ美里!」 パパは、プンとなったけど。 「お願い! お友達に挨拶し忘れたのっ!」 わたしが、言うとパパは左の路地に曲がってくれた。右の奥の方には、お別れした小学校があって。すぐそこには、コンビニがある。ここを左に曲がって、すこし進むと。林道の小道に入る道がある。 「パパ、ちょっと止めて。ここでちょっと待ってて!」 そう言って、わたしは、パパの車の重たいドアを開けてバタンと閉めた。猛ダッシュで走る。走る。走る。
ゼエゼエゼエ。
ゴンロウの死体は、まだそこにあった。 息が切れた、とっても疲れた。わたしは、息切れするほど生きていて、ゴンロウは死んでいる。 ゴンロウを明るい日の光の中で見るのは、初めてだったかもしれない。相変わらず、ゴンロウはわたしに背中を向けて、地面に横たわる。顔は向こう側で、表情は見えない。もう、臭くは無い。何の匂いもしない。なんだか、パサパサになって痩せこけた気がする。 わたしは、道端に咲いていた、とっても小さな白い花をプッチと抜き取った。ゴンロウに近づく。こんなに近づくのは、初めてだ。 蛆蛆は、もう居なかった。ゴンロウは、檄痩せして渇いたゴワゴワの汚い毛皮を纏っている。お腹の隙間からは、カーブした白い骨が二本だけ見える。わたしの胸にもこんな骨があるのだろうか。 ライオンの人形の『ライ』の首を見る。古傷の縫い目を見る……。 わたしは、左手に持った小さな花と、右手に持った人形の『ライ』をゴンロウの頭の後ろに、寄っ掛からせた。 もう、まったく怖くなんかない。ふっとゴンロウの頭の上を見たら。
白くて小さな根と、黄緑の小さな芽を出した、どんぐりがあった。
わたしは、どんぐりをそおっと手に摘んで、フニュッと抜き取った。 「これは、お礼に貰っていくよ。じゃあね。バイバイ、ゴンロウ!」 ダッシュして引き返す。焦って、わたしは、石に躓いて転んだ。痛いっ! 起き上がって、痛い膝を見るとジワッと赤い血が出ている。拭くものは、ナンかあったけ? ポケットを探す手に、折りたたんだハンカチの感触がある。ハンカチは、使わない。 そんなことより。パパの所に急がないとっ! わたしは、また駆け出す。遠い先に見えた。
砂利道の林道を抜けた出口に、黄色の電灯を点滅させた車の前に、パパがいた。
おわり
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