■ホーム■ 赤ちゃんインスタント
赤ちゃんインスタント

 子が死んだ。
 男は、独り。部屋の明かりを消して、うずくまる。ただ広くなった部屋。
 カチッカチッという時計の音と、たまに遠くで鳴るサイレンの小さな音が聞こえる。
 立ち上がることは、出来ない。その力が無い。

「おい、田中。おいっ! 聞いているのか?」
 佐藤の声が突然に俺の耳の中に入ってきた。
「ほれ、缶コーヒー。おごってやるよ」
 佐藤は、俺に向かって黒い缶をほおり投げてくる。俺は、危うく地面に落としそうになった。
 俺は、礼も言わずに、缶コーヒーの開け口に爪をかける。爪が柔くて痛い。開ける気力も無くなった。
 佐藤が呆れた声で言う。
「暗いなあ。まだ、嫁さん帰ってこないのか? お前がそれじゃあなあ。まあ、気持ちは解るが」
 佐藤が続ける。
「しかしな、忘れろとはとても言えないが、そろそろ。あれから三ヶ月。気持ちを整理して」
 聞きたくない。俺は、佐藤の言葉を遮った。記憶を消したい。
 俺は、吐き出して佐藤に言った。
「一応、仕事に支障はないだろ。おい、もうこんな時間だ。次のお得意先へ、行かなきゃいけない時間だ」
 俺は、缶コーヒーを佐藤に投げ返して歩き出した。
 熱い太陽が明るくて、暑苦しい。

 三歳の息子は、交差点で車に轢かれた。眼の前で。ふいに飛び出す息子の背と、強引な左折の重い車体が交錯する。
 スローモーションのように思い出せる。夢にも毎夜現れては、苦しめる。昼間も鮮明に思い出しては、息苦しくさせる。小さな軟らかい息子の胸が、潰れる音が、今にも、聞こえてくるようだ。
 俺は、心を閉ざすことで硬くすることで対処することを覚えていた。そんな妻は、俺を捨てた。

 ガラス越しの外は、真っ暗に黒く。大雨が叩きつけている。


 それは、俺の視野に急に入ってきたのだった。
 俺は、タバコを買うため赤いボタンを押した。タンッとタバコが落ちる。タバコを取る前に、横にある自販機が気になった。俺の視野に入ってきたのは、その自販機だった。
「おい、タバコを取れよ! 後が支っかえてるんだぜ」
 佐藤が、俺の背後から声をかけた。
「佐藤。こんな自販機あったかな?」
 俺は、佐藤の顔を見ずに問いかける。
 営業廻りで、あちこちのビジネスビルを訪ねるが、こんな自販機は見たことがなかった。以前に来たのは、そう…三ヶ月前だろうか? 前にこんなものは無かったハズだが。

『インスタント赤ちゃん』
 と、自販機の上に大きく表示されている。横幅の広い、どっしりとした自販機。全面のガラス張りは広い。カップラーメンほどの、いや。カップラーメンと同じ大きさ、同じ形のものが上面をこちらに向けて、陳列している。横列に三つ。それが、三段になっている。自販機の大きさの割りに種類が少ない。
 かわいい、赤ちゃんの写真が。
 一つ一つのカップラーメンの入れ物のような蓋の表面に、それぞれ違うわかいい顔をした赤ちゃんの写真が映し出されている。昨日までだったら、こんな写真は目に入れないだろう。公園に居る親子連れの赤ちゃんや子供。道ですれ違う母親に手を引かれて歩く小さな子供。そんなものは、視野から頭から除外していた。
 なんだか、今は素直に見れる。
 しかし、高いな。値段が。一つ三千円とは。
「おい、止めとけよ。そんなくだらないモノ。変り種のおもちゃだろ」
 佐藤は、待ちくだびれたのかタバコに火をつけて、口に銜える。まだ、喫煙所には遠い。
「先に、行ってろよ」
 俺は、無愛想に言った。佐藤は、いつものようにヘイヘイとあごを三回突き出して、喫煙所へ向かった。
 ガラス越しの外は、真っ暗に黒く。大雨が叩きつけている。
 背広の内ポケットから、財布を取り出して三千円をその自販機に流し込んだ。

 俺は苛立ちを覚えている。
 うす暗い自宅の台所で、テーブルの上に置いてあるカップラーメンを俺は見つめている。3分間がこれほど長いものだったとは。また、壁掛け時計の秒針に目線をやる、遅い。カップラーメンの説明をざっと読み飛ばし、蓋を半分剥がしお湯を注いだ。
 中身は、乾麺ではなかった、白い乾いた固まりがあるだけだった。蓋を閉めて待っている…しかし、時間が長い。永い。

『おぎゃあ』
 俺は、耳を疑ったが突如、心は高揚していた。俺の選んだカップラーメンは、男の子の赤ちゃんだった。その写真が写っている表面のカップラーメンの蓋。死んだ子供の赤ちゃんに似ているような気がしたからだ。
 蓋の表面の紙が、内側、そうカップの中側からカプカプと押されている。
 中に何かがいる!
 俺の高揚がさらに高鳴る。
『おぎゃあ。おぎゃあ』
 確かに、カップラーメンの中から明らかに赤ちゃんの泣き声が聞こえている。それは確かだ。俺の幻聴では決して無い。心の高揚が、腹から胸に湧き出て嗚咽に変わる。口から吐き出しそうだ。だが、歓びに替わる変化への期待と希望があるように感じた。
 俺は、そおっと、カップラーメンの蓋のすみを指で摘んで。指が震えている。掴んでゆっくりと引き剥がした。
 ああ、神よ! ああ、なんということだ。なんということなんだ。目頭が熱くなる。心の高揚と緊張と嗚咽は、あたたかい歓びに変わっていく。

 カップラーメンの中には、小さな赤ちゃんが横たわっている。か細く、力強く泣いている。両手足を無軌道に微動させて、小さな口をパクパク開ける。目はまだ開いていない。薄く生えている髪の毛の濡れと、身体が水に濡れていて生々しい。少し赤みを帯びた表皮は、未熟児のようにも見える。それに小さい身体。両手の中にすっぽりと入る大きさだ。お湯は…吸ったらしい。小さな可愛いお尻と背中を少し浸す程度に水は残っている。
 俺は、両手でそおっとカップラーメンのカップの中からすくいだした。柔らかい、生温かい、震えている、泣いている。涙が、俺の視線を曇らせる。

『光一』と。俺は、その子に名前を付けた。息子の名だ。
 それからの俺は、幸せだった。生きがいを見つけたからだ。直ぐに仕事も辞めた。無職にはなったが、2、3年は働かなくてもいい貯蓄があった。俺は、光一を付きっきりで世話をした。
 確かに、小さい光一は、生きていた。しっかりと鼓動をして息をしている。生きようとしている。それを感じられた。
 粉ミルクを湯で溶かし、水を加えて温度を整える。そしてほ乳瓶へ入れる。市販のほ乳瓶の先は、大きすぎるので加工した。光一は、小さな口でほ乳瓶の先っちょに吸い付いて必死にミルクを吸い込む。
 そして、喜ばしいがとても臭いうんこを捻り出す。やはり市販のおしめは使えないので、柔らかめのハンカチを切り抜いておしめの代用とした。
 ある時、光一はそのつぶらな、小さな、かわいい目をくりっと見開いて。俺の目を見た。ああ、神よ。感謝します。神は確かにいたのだ。俺の願いは、聞き入れられた。息子の光一が甦ったのだ。
 小さな手足は、無軌道な微動から意思を持った動きへと変わり、小さな口は、小さな親指を吸い付いた。
『あう。あう』
 光一は、俺におしめを替えてもらいながら、俺の目を覗き込み何かを話したがっているようだった。だが、言葉になるには、まだ時間がかかるだろう。
 光一は、成長はしているが、体はあまり大きくならない。最初に手に取った大きさから、一回り二回りほど大きくなっただけだった。だが、少しずつではあるが成長している。光一は寝返りをうった。あまりにも人間としては小さすぎる。だが、いいのだ。俺の子には違いない。どんなことがあっても。ほんとうに俺は幸せだ。
 今、部屋は明るい。部屋の隅々まで。気持ちは。昼間は太陽の光が、夜は明るい白色光が部屋と差している。

 ちょうど、光一が生まれてから三ヶ月経っただろうか。相変わらず光一は、大きくならないがちょっとずつではあるが体も大きくなってきた。相変わらす両手の平サイズではある。普通の赤ちゃん服では着れないので、俺が自作で洋服を作る。パジャマも作った。だんだん上手くなってきただろう。
 昨日から、光一はハイハイを初めた。ゆっくりではあるが、「あうあう。あー、あー」と言いながら、ゆっくりではあるが部屋の中を動き回っている。俺は嬉しくそれを見守る。
 光一は、こちらを振り向いて、俺の目を見て何かを言いたがった。
『パッ…パパ』
 俺の心は、喜びで溢れた。ずっと言い続けてきた、教えてきた言葉。待ち焦がれた言葉。俺は、小さな息子を抱きしめようと両手で抱きかかえようと…。突然に。
 突然に、光一の目の生気は、失われ。ゴトッと、小さな頭を床のフローリングに打ちつけた。体は、微妙に震えていたが、直ぐに動かなくなった。

『…3分で誕生して、3ヶ月間生きる…インスタント赤ちゃん…』

 光一が生まれたカップラーメンの説明欄には、俺が読んでいなかった文章が載っていた。商品は商品だったのだ。期限がくると自動的に死ぬようになっている。そう、3ヶ月間がインスタント赤ちゃんの寿命だった。その制限と結末は、倫理的に人間との隔絶を生み、それ故に商品として成り立っていた。光一は、白いさらさらの砂に戻って逝った。その説明文には、こうも書いてあった。
『ゴミはゴミ箱へ』
 俺の心と精神は、高い分厚い塀に囲まれた。何も感じない。俺は、白い固まりを生ゴミとして捨てた。


 俺は、今、3ヶ月後に発売されるという新商品の『3歳バージョン』を楽しみにしている。



 おわり

ひろ(ひろたか)
2007年08月07日(火) 22時49分27秒 公開
■この作品の著作権は「ひろ(ひろたか)」にあります。無断転載は禁止です。